みんなの体験
山下家編
我が家の裕騎は、
29週で1393gの極小未熟児として生まれ、保育器のお世話になりました。生
まれてすぐに点滴やモニターのコードをいっぱいつけられました。自分で呼吸が
出来ない事、心臓に穴があいている事などは、早産で産まれたからだろうと言わ
れていたのですが、なんとなく顔付きを見ると障害児なのでは?と思っていまし
た。3ヶ月後に“ダウン症”と告知され
「やっぱりそうだった。」との思いと同時に背筋に寒気が走りました。真っ先 に知的障害という言葉が頭を巡り、この先、この子をどういう風に育てていけば いいのだろうか?と将来がとても不安に感じられました。 でも ある反面 カンガルーケア というのを一ヶ月前からしていたので、親子の絆や母親としての自信があり 、裕騎がとても可愛く大事に思えていました。 ですから『裕騎は私に一生懸命答えてくれようとしているのだから、私がこの 子を守っていかなければいけない。私が見捨ててしまったら、誰も居ないじゃな いか!』と思えたんです。 告知と同時に、動脈管開存症の手術の事を聞かされました。かなり呼吸状態が 悪く、自発呼吸をする事が出来なくなっていて、手術まであいだを置くと危険な 状態になりそうだったのです。 2日後に心臓カテーテル、3日後に手術と決まりました。心臓カテーテルは、 針が入らなかった為、中止になり、手術の日を迎えました。手術前に面会をさせ てもらい『もしかしたら、この子は生きて帰って来ないかもしれない。』なんて 感じてしまい涙があふれ出てきました。 手術室まで裕騎の側に立ち「がんばれ!病気に負けるな!」と声をかけていま した。 手術中は自分との葛藤でした。『絶対生きて帰ってくる』と思っていたのです が、時折『このまま居なくなってくれる方が私は楽になれるかのしれない。』と の思いも、頭をかすめました。(悪い親ですよね) 手術は無事成功。その後の裕騎は医師もびっくりする程の回復でした。在宅酸 素をしていく事になりましたが、約40日後に退院しました。 退院してからはかなりの表情が出てきて、より可愛くなってきました。首がい つまでもすわらなかったので、すごく不安でしたが生後7ヵ月ですわりました。 それからというもの9ヵ月で腹ばいで90度まで顔を上げる事が出来たり、1才 でずりばい・お座り、1才2ヵ月でつかまり立ち、1才3ヵ月で四つ這いが出来 るようになりました。今思うとあっという間に過ぎ去っていった日々です。うち の子、こんなのがまだ出来ないと心配し、いつになったら出来るようになるのだ ろうと焦りました。でも本当に出来るようになるんですね。最初の時にショック があっても、一つ表情が豊かになるたび、一つ成長するたびにショックも1段階 づつなくなっていきます。今では、この子で良かった。この子がダウン症で良か ったなんて思ったりもします。 ここには書けなかったのですが、裕騎のおかげでいろんな人に出会う事ができ ました。 この子たちは苦労もある分、喜びも倍増です。また、人と人をつなげてくれる んです。 この子のおかげで私自身が成長も出来ます。今はこの子に感謝している日々な んですよ。 |
かおりちゃん家編